95 ふりかえる

先日取材に来てくださった。それが本日新聞に掲載された。嬉しかった。今日は3月11日、東北出身であれば忘れられない日。私は2011年、すでに沖縄に引っ越して数年が経っていて、その日は那覇にいた。なので実際のところ、私のことは被災者とは言わないと思う。祖父が亡くなったし、家族はそれぞれの場所でそれぞれの震災を体験したので、いうならば被災者の家族だ。なので、ちょっとした巡り合わせを感じてしまったのは事実である。

この時話させていただいたのは、どこで生まれてどのように育ち何が好きだったかなど。いま、行っている日々の製作の前に、聞かれたことに答えていけば自分自身の半生を振り返るような時間であった。

沖縄タイムスの#オキナワクラフト

現代人にもれず、私自身もSNSの世界に気持ちを持っていかれ、ミニマリストに憧れたりする時もあった。もちろん、しっくりくる事はなく、ミニマリスト、シンプリストにはならなかったし、なれもしなかった。鮮やかな色に、エネルギーを感じる人間なのだ。素材感が大好きで、取材でお話をしていくうちに、桜の樺細工で作られた”古い時代のタバコケース”という物を今でも持っていて、ヘアピンを入れていることを思い出した。高校生の頃に骨董市で買った糸を巻くものは、織をしない私にとっては、いつまでも飾りで、今はそれを台として、アジアの蹴鞠の玉を乗せて、ただ鑑賞している。それだけで、それが視野の片隅に映るだけで、自分の大好きな空間にいるという実感をする。

びんがた工房を紹介してくださるという取材に対して、そんな古いものを好きだったことを思い出すなんて思いもしなかったし、自分の育った環境を思い出すきっかけと、その答えがメモリアルの日になるのは感慨深く、この日が来るのを楽しみにする自分がいた。

そんな気持ちとは裏腹に、本日は寝不足で、夫と長男におにぎりを6個持たせ、少年野球に行く背中を見送った。次男三男を親戚の子と遊ばせるため、私自身は親戚宅に滞在。皆さんと過ごすのんびりとした時間はとても豊かであった。自宅にいたら、やる事はいっぱいなのに、ここでは子どもの話を聞く事と、その窓越しに見えるやんばるの大自然(住んでいる本人にとっては、多くをかんじない当たり前すぎる日常)を見ることしかできない。そこにもどかしさよりも、豊さを感じている。ワイワイガヤガヤしているうちに、黙祷も忘れてしまっていて情けなし。

そんなこんなで、慌ただしく日々を過ごしているのでですが、ここ数年、自然観察会に出会い参加したことをきっかけに、出会い続けるやんばるの自然は、足元の雑草から見上げた空の花々、木々の葉の新芽までが私の心を震わせるのだ。”うるおす”も心のありようにふさわしい。

まとまらないが、今日のうちに投稿したいので、ここまで。

反省が止まらない毎日だけど、豊かさは本当に感じている。大好きなものに、かこまれています。

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